アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品、『バベル』を観る。
現代の世界を155分のフィルムという形式で比喩的に記述しようという壮大な計画にほぼ成功した、大きな存在感を持つ映画。ディスコミニュケーションに満ちあふれた世界の中に垣間見える「思いやり」や「絆」を映画メッセージの核としており、未来世界への明るい展望を抱かせるような展開となっている。
ただしストーリー展開は、物語的というよりは寓話的であり、わたくしにとっては事件性が低いと言わざるを得なかった。映画の登場人物それぞれが持つべき『動機』が弱かったのだ。偶発的に発生する事件に『対処』しているばかり、のように思えたのだ。
それは時にストーリーを前に進めるパワーの欠如を生みだした。簡単に言うと時々退屈したって事なんですが。というわけで『バベル』は、それぞれの登場人物には強い共感を覚えるし、先が読めない緊張感はあるのだが、わたくしの望む『時間のサスペンス』としての映画力が少々足りなかった。
この映画は見てスカッともしないし興奮もしないし明るくなるわけでもない。ただ「私たちの住む世界の現在ってこんな感じにシンドイですね」と、つぶやくように、静かに佇んでいる映画である。絵画的であり、寓話的であり、主題の核は現代文学的でもある。
そして現代文学や寓話とは、現代が抱える病理に鈍感な人間にはとても退屈なものである。この映画に少し退屈を感じたわたくしは、どうやら現代の病理にはあまり頓着していないらしい。そういう結論に落ち着き、わたくしは自分に足りないモノになんとなく気づき、40年の人生に疑問を持ち、少々落ち込んだのであった。