見てすぐおわかりのとおり、ブログデザインの更新中です。でもなかなかしっくりいかないんだなこれが…完成にはまだまだ時間がかかりそうです。さて今日はやっとSmapアテレコCM全タイプを見ることができました。ってサイトに行けば誰でもすぐ見られるんですけど… 見た感想は…さすがです。毎回ハードルを上げ続けて来た土壌のうえに、今回の表現が生まれたことがわかります。ホットペッパーCMが世の中に認知されてるからこそ可能になっている乱暴…というか激しい表現もありますね。
さてこのシリーズの面白さは、宴会などの場で普段交わされているような会話と宴会とは全く関係ない映像とを絶妙なバランスで組み合わせた所だと思います。すなわち、普通の会話をこれまでに存在していなかったスタイルで表現している。だから誰もが簡単に理解できるCMなのに、脳に強くインプットされる。そして会話と映像の接着剤は、独特のイントネーションを持つY先輩の声。このスタイル全体がすでに勝利の方程式になってるんですよね。わたくしも方程式をひとつ持っていたのですが先日取り上げられてしまい、いまだ次のネタが見つかってません。あぁ困った困った。
ちなみに上の「誰もが理解できるモノなのに独特のスタイルで表現されているから脳に強くインプットされる」という方程式を、アートの世界でも最近発見しました。それは7月2日まで東京都現代美術館で開催されていたカルティエ現代美術財団コレクション展の出品作の一つ、ライザ・ルーによる「裏庭」です。15m×18mの大きなサイズで作られた原寸大の裏庭は、草や木や花、ピクニックテーブルからその上に置かれたサンドイッチから、その全てがガラスビーズによって作られていました。何人ものボランティアが参加しても完成までに2年かかったという気が遠くなるような作業を経て、誰もが見た事があるような景色が異質なモノとして眼前に迫って来ます。
(主な展示作品をクリックしてみてください)
景色の再構築がアートとして成立するのであれば、会話の再構築であるホットペッパーのCMシリーズもアートであると思うのですが、どうでしょうか。